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エゼキエル書12章

「彼らは反逆の家だから、見る目があるのに見ず、聞く耳があるのに聞こうとしない。~もしかしたら、彼らに自分たちが反逆の家であることがわかるかもしれない。」3節 

 主の道に歩まず捕囚への道を突き進むイスラエルの民。主のエゼキエルに対する「荷造りをして他の場所に移る」という命令は捕囚をあらわし、その行動によって民が自らの罪深さを悟るかもしれないという憐れみでした。

  預言者イザヤもその働きに召される時、主からこのように言われました。

「行ってこの民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』」イザヤ6:9

 これも、真の悔い改めを持って主に立ち返ることがいかに必要かを逆説的に訴えていることばです。

  主は、どこまでも聖いお方です。そしてどこまでも憐れみ深いお方です。私たちが本当に悔い改めて主のもとに帰ることが出来るように、イエス様の十字架を備えられました。私たちが十字架を自分のこととして捉え、悔い改めるならば、私たちは主の民として「移される」のです。 主のもとに帰り、聖霊によって、主の言葉である聖書を見、聞き、悟ることができるように祈りながら、御言葉にいつも立ち返って行こう。

T・S

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