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16 2012年イースターに

 みなさま、こんにちは。

 毎年、春になると、世界中のすべてのキリスト信者が「復活節・イースター」を祝います。それは冬を耐え抜いた春の祭典ということではありません。キリストの十字架をしのんで「受難週」を過ごした後、その復活を喜んで「イースター」を祝うのです。ことしのイースターは4月8日です。

 十字架にかかって死んだキリストが三日目によみがえった、などということはとても信じられないとお思いかもしれません。けれどもキリスト教は「理性」をこよなく重んじながらも、その最初からずっと変わらずキリストの復活を伝えてきたし、その信仰のために多くの人々がいのちをかけさえしました。キリストが復活しなかったならば、その信仰には意味がないと、人々は今でも考えているのです。

 けれども、それは、驚くべき奇跡が起きたので信じる、ということでもありません。キリストの復活にこめられた意味を知ってこそ、私たちは意義深い信じかたができるのです。そこで今、キリストの復活が私たちにもたらした意味を手短にお話しいたしましょう。

 第一、私たちは遅かれ早かれ、人生の表舞台から去って行き、だれもが死に定められています。けれども人はそれを当然と割り切ることはできません。宗教改革者ルターは言いました、「誰でもみな、ただひとりで死なねばならない。そのとき私はあなたとともにいないし、あなたも私とともにいない。耳には互いの叫びが聞こえる。それなのに、だれもがひとりで行くことになる」。

 業績や才能も我々の死を意味あるものにはしません。輝かしい経歴や能力があり、それが今の自分を支えているとしても、それらによって死を乗り越えることができるわけではありません。どこへいくのかを知らずに暗やみに放り出される、それが人生の最後に遭遇する死であるとすれば、人生はなんとさびしいことでしょうか。

 自分は修行して悟りを開くから大丈夫と考えますか。しかし悟りを開く前の不始末、罪、失敗、足りなさ、至らなさは帳消しにできず、そのまま残っているのです。

 第二、キリストは思想、哲学、政治、福祉、音楽、絵画、文学などあらゆる分野に、歴史上最大の影響を与えた人物です。その点でキリストは傑出しているのです。

 しかもキリストは修行者ではありませんでした。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」(新約聖書 ヨハネ1:29)と呼ばれています。私たちの足りなさ、至らなさ、不始末、罪のすべてをご自分の身に負われたのです。それは、キリストが罪を犯したことのない方であったからこそできたのです。キリストは私たちを罪と死の束縛から解き放つただ一つの手立てとなられました。

「神は、罪を知らない方を私たちのかわりに罪とされた。それは私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(新約聖書 第2コリント5:21)。

 この罪のないお方が私たちのすべての罪を負って処罰を受けてくださいました。
「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか」、そう叫んでキリストは死なれました(新約聖書 マタイ27:46他)。

 第三、こうして死んだままであれば、キリストの死が私たちの罪の身代わりであったという証拠はどこにもありません。罪と死と絶望を断ち切って復活されたからこそ、キリストは罪のない神の子であり、また、私たちにゆるしを与えることができるのです。私たちは、この方の赦しと救いを信じて、あれもこれもすべての罪と思い煩いと重荷を、この方にまかせることができます。そして私たちはここに人生の新しい土台と新しい動機づけを見いだすことができるのです。これが、キリストの復活がもたらす意味です。

 キリストについて知りたいこと、確かめたいことはまだまだおありでしょう。
けれども今お話ししたことは大切な最初の一歩です。まずここから始めてみましょう。この一歩を踏み固めて次に進みましょう。そして、この喜ばしいイースターの祝いにあなたも加わってくださいませんか。

みなさまの上に、神の祝福を祈りつつ。

川越聖書教会 牧師 岸本 紘

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