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09 キリスト・イエスによる贖いのゆえに

 みなさま、こんにちは。

 夏が来ると60数年前の戦争のことが語られます。敗戦当時の日本は大変な貧困の中にありました。子どもであった私もその時代を生きていましたが、どういうわけか、年の違わない兄と、どこへ行くにも肩を組んで歩いていました。車が少なかったからできたのかもしれません。貧しさの中にも、なんと純真で幸せであったことかと、懐かしく思い出すのです。
 さて「人間は本来、良いものだ」とよく言われます。そのとおりです。思い出の中の私たちはみな良いものです。けれども本来がなんであろうとも、現実の私たちは良いとばかり言えないのではないでしょうか。本来は良いのだと自分に言い聞かせても、それで急に良い人間になれるわけではありません。不平や不満や憎しみが、私たちの心をますます不機嫌なものにしているほうが多いのではないでしょうか。おだやかな平常心も、何かのはずみで波立ちます。私たちの心は、泥の沈殿したコップの水のように透き通っていながら、ひとたび揺すぶられると、あっという間に濁ってしまうのです。

「すべての人は罪を犯したので、神の栄誉を受けることはできず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
(新約聖書『ローマ人への手紙』3章23-24節)

 だれをも信じることができずに、かたくなな心で生きている人もいるでしょう。挫折に苦しんで落ち込んでいる人もいるでしょう。こうして互いの間の亀裂はいよいよ深まり、そこから争いや離別が生じるのです。本来良いはずの私たちが、実際には良くはない。私たちはなんと矛盾に満ちた存在でしょうか。ある哲学者は「戦争をなくすことはできるか」との問いに答えて「我々自身が争いに満ちているのに、どうして戦争のない世界を実現できるだろう」と語っています。そうかもしれません。こうして私たちは、本来の良さを願いながら、現実の苦闘を生き続けるのです。
 持ち前の力で自分を根本的に良い人に変えることはできない。罪のない人はいない。人生をまじめに考えるならば、どんなにすぐれた頭脳の持ち主であっても、どんなにお金持ちであっても、この事実を認めることでしょう。そして私たちはこのゼロ地点からスタートするほかありません。そのときに私たちは初めて、ただひとりの生ける神と、そのゆるし、その平和へと、導かれます。神は、そのひとり子キリストをとおして、私たちを救いに招いてくださっているのです。

みなさまの上に、神の祝福がありますよう。

川越聖書教会 牧師 岸本 紘

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