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06 主を求めよ。お会いできる間に

 みなさま、こんにちは。

 「友あり、遠方より来る。また楽しからずや」
 この夏、全世界を熱狂させた北京オリンピックは、2千5百年前の孔子のことばで幕を明け私たちを驚かせました。学校の漢文の授業を懐かしく思い起こした人々も多いことでしょう。私も改めて『論語』を開いて読んでみました。人生についての深い洞察と知恵が語られていて、これは確かに人類の偉大な遺産の一つだとの感を深くしました。
 「君子危うきに近寄らず」 「小人閑居して不善をなす」 「巧言令色少なし仁」 などなど、これらはみな私たちに、聖人の道、君子の道を示します。また、人としての高い標準を掲げる点で、ほかの多くの先達の教えとともに、世界中で、愛され、敬われ続けるでしょう。
 では、聖書はどうでしょうか。確かに聖書のなかにも「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」 「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」など、私たちの心を励ますキリストのことばを、多く見いだすことができます。それゆえに人は、聖書も論語もともに、人生の原理原則、道徳を説くものだと考えるかもしれません。しかしながら、聖書では、それとは全く違った音色が基調になっているのです。そして、それが私たちの心の奥底にまで踏み込んでくると言ってもよいでしょう。

 「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。 悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。
  主に帰れ。そうすれば主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」
(旧約聖書『イザヤ書』55章)

 聖書を開くときには、「悪者」とは私のことであり、あなたのことです。そう思って読むことが、聖書を読む場合の大切なルールなのです。そして聖書には歴史、預言、道徳的教え、詩歌、格言など、さまざまな書物が収められていますが、それらは一貫して、どこを開いても、キリストの十字架の「ゆるし」という知らせが編み込まれています。そして、この「ゆるし」の事実にもとづいて、神は、私たちすべてを、ご自分のもとに招こうとなさるのです。
 楽しいときは楽しいなりに、苦しいときも苦しいなりに、ただ気休めや気晴らしで生きているというのではなく、有頂天の日にも、失意のときにも、変わらずに語りかけ、招いておられる方がいる。そうと知るとき、私たちはそこに安心と確信をみいだすことができます。さまよい出た私たちすべての人間に対して、ご自分のもとに帰れと招いている神がおられるのです。

みなさまの上に、神の豊かな祝福がありますよう。

川越聖書教会 牧師 岸本 紘

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