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04教会員の声 Archive

 「自分には少しくらい愛はある!」と思っていた私ですが、神様の愛と自分の愛が全く違うことを知り、心が痛くなりました。神様の救いの広さを教えられ、かつては仏壇に手を合わせていた私は、今では私を罪から救ってくれた、イエス様を信じて歩んでいます。神様の愛を頂きながら、人をゆるす事が出来る人間として生きて行きたいと願う毎日です。

看護師 38歳

 社会に出て何の拠り所もないままさまよっていた私は、大学で出会ったクリスチャンの友人から借りていた「キリスト教の精髄」(C.Sルイス著)という本を開きました。そこに書かれている"まじりけのないキリスト教"にふれて、私の一番の問題は"神を認めない"という罪だということを知って教会に行くようになり、私の罪を負ってくださった十字架のキリストを信じました。

建築家 35歳

 22歳の時、交通事故で父を亡くしました。突然の出来事で大きなショックを受け、命のはかなさや人生の虚しさを感じ、人生の意味を考えるようになりました。その後、通うようになった教会で自分の罪に気づき、キリストの十字架と復活が自分の為であった事を知り、信仰を持ちました。
 以来35年間、激務の中でも神に支えられ、聖書を通して自分の人生の意味がだんだん理解できるようになりました。

会社員 57歳

 子どもの出産後まもなくさまざまな問題に直面し、暗闇の中で独り苦悩し、心身ともに疲れ果てました。人々を一日中呪い続けている自分自身の醜い姿、罪深さにも気づき絶望しました。
 10年後、友人からイエスの愛と罪のゆるしについて教わり、キリストを神、救い主として信じて教会を訪れました。受洗以来罪ゆるされた者として主イエスと共に歩む人生のすばらしさと喜びを味わっています。

主婦 57歳

 私の人生の転機は結婚でした。それまでも福祉の仕事柄、聖書やキリストに触れる機会はあったのですが、私には関係ないことと背を向けていました。
 しかし結婚を願うクリスチャンの女性に誘われ、牧師の導きで聖書を学び、少しずつ聖書の語る神の大きな愛を知るようになりました。今では私の罪に対する罰を一身に背負い、無償の愛を与えてくださるイエス様とともに歩んでいこうと心から願うようになりました。

会社員 34歳

 進学、就職、結婚はすべて自分の努力によるもの、と自信に満ちて過していた日々。しかし相次ぐ近親者の死、子どもの不登校、仕事場の経営不振等に見舞われ、何も対処できない愚かで無力な自分を痛感しました。
 ある偶然で教会に通うようになり、キリストを信じ数年前に受洗。「主を恐れることは知識の初め(箴言1:7)」という聖書の言葉は、今の私の生命線です。

音楽家 53歳

 クリスチャンの妻と一緒に教会に通っていましたが、60歳までは聖書を殆んど読まず、また洗礼も受けていませんでした。しかしその頃、礼拝後の「聖書の学び会」に求道中の人々と共に出席するようになり、聖書を読み進むに従い、自分自身を初め人間の至らなさを思い知らされる一方、キリストの愛に驚き、深く感動しました。
 十字架により私達の罪を贖って下さったことに感謝し、キリストの復活を信ずるようになりました。現在は、日々主と共に歩めることに感謝し、またこれを喜びとしております。

元会社員 64歳

 高校1年の時、生きる指針を求めて教会へ通い始めました。聖書を読み、神がおられて私を愛して下さっていること、神に背を向けている私を救うためにキリストが十字架にかかられたことが分かり、キリストを信じました。
 その後、就職、結婚、出産を経て15年が過ぎました。神が私を悔い改めへと導き、神とともに生きるように招き続けて下さることを日々経験し、神に感謝しています。

主婦 37歳

 クリスチャン家庭に生まれた私は、中学1年の時に洗礼を受けましたが、高校になってから学校にも教会にも行けなくなりました。ひきこもりが続き、人を信じられなくなっていた私を教会の仲間が訪ねてくれ、「教会に来て一緒に食事をしないか」と誘ってくれ、私は再び教会に行くようになり、そして、神さまをはっきりと求めるようになりました。
 苦しみを通して私は変わり、神さまはどんな時にも私を見捨てず、愛してくださることを実感しました。これからも神さまと共に歩んで行きたいです。

高校生 17歳

 私はクリスチャンの家庭に生まれ、中学生の時に洗礼を受けました。しかし大学に入った頃から、人間(自分)はもっと善いものではないか、自分の力で自由に生きてもよいのではないかと思い始め、次第に神から離れてしまいました。
 ところが、母と妹が病で天に召されるという経験を通して、自分(人間)は本当に惨めな存在で、神とともに歩む以外に本当の意味で自由に生きる道はないと知らされました。これからもイエス様から目を離さないで生きていきたいと思います。

主婦 38歳

 僕はクリスチャンホームに生まれたので教会に行くのは当たり前でした。ただ漠然と「イエス様は自分のために十字架にかかってくれた」としか思っていませんでしたが、中学の夏の聖書キャンプで、「私は本当にみじめな人間です。誰がこの死の体から救ってくれるのでしょう。」というローマ書7:24のみことばを聞いた時、イエス様が十字架に架かってくれたのは、どうしようもない自分自身の死の体から救うためだとはっきり分かりイエス様を信じました。これからも神様により頼んでいきたいです。

高校生 16歳

 小学生の時、母が教会に通い始め、私も行くようになりました。友人との関係に悩んでいた私は、心のどこかで「受け入れられたい」という思いがありました。
 聖書の話を聞くにつれ、キリストが私の罪のために死なれたことと、こんな自分をも受け入れてくださっていることがわかり中学生の時に洗礼を受けました。それから今に至るまで、いつも聖書から力を得てきました。

会社員 23歳

 「なぜ平和な社会にならないのか?」と、哲学や思想を学んできた私は、ある日聖書に出会いました。
 聖書には、「それは罪の性質をもつ人間が創造主である神を離れ、自力で解決を目ざしたことの結果なのだ」とありました。
 神のひとり子であるキリストが人間社会のすべての恥を背負う十字架刑で自らの血をもって私たちをゆるし、永遠のいのちを約束してくださったことを知り信仰に至りました。先日、この教会でようやく洗礼を受けました。

会社員 42歳

 若い頃から、宗教は弱い人間のすることであり、私はすべて自分の力でここまでやってきたのだから、そんなものは必要ないと考えていました。
 しかし、ある事をきっかけに教会に導かれ、「人間は本来、創造主である神と共に歩むべきなのに、神を恐れず、神に背を向けて自分中心に生きて いる。その生き方が人間の最も大きな罪であり、それは私の生き方そのものだ」と思い知り、キリストを信じました。

音楽家 53歳

 心の奥に溜め込んだ悩みに耐え切れず、誰かに話したいと思うようになったころ、以前通った教会の友達から「また来ない?」と誘われ、行くようになりました。
 いろんな人と話すうちに聖書を学びたいと思いはじめ、学び進むにつれて自分の罪を知り、またキリストが自分の罪のために十字架にかかられたことに気づき、キリストを信じました。これから先もキリストとともに歩んで生きたいと思います。

大学生 20歳

 25歳の時、クリスチャンの妹に誘われて初めて教会に行きました。その日「神は愛です」という聖書のことばを聞き、驚きました。
 というのは、私は幼い頃から「悪いことをしたら、ばちがあたる」と教えられて育ったので、神さまは「罪に対し罰を与える恐い方」と思っていたからです。
 しかし聖書の神さまは、罰を代わりに引き受けて下さる方であることを知り、その犠牲的な愛に心打たれ、キリストを信じて生きていこうと決めました。

主婦 45歳

 仕事で外回りをしているときにいつも通る道沿いに教会があり、看板に聖書の言葉が書いてありました。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイの福音書11:28)

 疲れているときにこの言葉に励まされたのを今でも思い出します。聖書の言葉には力があり、それを信じる信仰には本当のいのちがあると確信しています。

会社員  45歳

 高校生時代、好きな英語を学ぶにつれ、その文化の背景にある聖書を知りたいと思って教会に通いました。当時の私は、思いやりのある良い人になりたいと願いながらも、それができないこと、また、さまざまなジンクスや占いに縛られている自分に苦しんでいました。
 聖書を読んで、人間には自己中心の罪があり、自分の力ではどんなに努力しても良い人間にはなれないことがわかりました。困ったときだけ神に祈り、あとは自分勝手に生きていた私の罪をゆるすためにキリストは十字架にかかったことを知り、聖書の神さまに頼り、信じる決心をしました。
 それから30年以上、進学、就職、結婚、子育て、介護など波風の中でも神は私と共にいて慰め、励まし、前向きに生きるように支えてくださいました。とだったと神様に感謝しています。

主婦  54歳

 「自分の力で何でもできる」と思って生きてきた私ですが、29歳の時に誰にも相談できない、到底解決できない問題に行きづまり、教会の門をたたきました。
 牧師との聖書の学びを通して、二千年前にこの私の罪のためにイエス・キリストが十字架にかかり、復活されたことにより、私がこの罪から救われることを知り、キリストを信じました。あれから5年が経ちました。

会社員 34歳

 高1の時、「何のために生きるのか?」を求め、教会の戸をたたいてから33年になります。文化や伝統としての神ではなく、真の神を神として生きていない罪を、聖書から知りました。
 キリストの『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです』いうことばによって、真のいのちの意味を知りました。
 それ以来、学ぶこと、働くこと、家庭を持つこと、子どもを育てることなど、あらゆることの中で、力強く導いてくださる神さまの恵みに生かされている毎日です。

 主婦 49歳

 大学の授業で、聖書の最初の言葉『初めに、神が天と地を創造した』に初めてふれたとき、ばらばらだった人生の不思議が一本の線で結ばれるような美しさを感じました。その一方で、自分を創造した神に背いた生き方をしている自分の醜さを覚えました。そんな自分を愛し、自分のためにご自身をお捨てになった神の御子キリストの愛を知ったとき自分が憎んでいた人を赦そうとする意志が生まれました。
 それと同時にキリストの愛のうちに生きなければ、人生はなんと空しいことか痛感しました。キリストの愛のうちに生きていくことの恵みを日々、感謝しています。

 会社員 26歳

 三浦綾子さんの「氷点」を読み、私の心にある原罪に気づかされました。この罪を赦していただきたい、どうしたら赦されるのだろうか?三浦さんの本を次々と読みました。
 その本の中に当教会岸本牧師の名がありましたので訪ねて来ました。今はイエス・キリストによって、罪を赦されたことを信じ、全てを神さまに信頼し、日々歩んでいけることを感謝しています。

 主婦  63歳

 「わたしは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」マタイの福音書9:13

 これは16年前に私が35歳のとき出会った聖書のことばです。当時すでに洗礼を受けていましたが、この聖書の箇所を読んだとき深く胸を打たれました。
 それまで、仕事にも人にも厳しく、終電で帰宅することがたびたびという生活を送っていましたが、福祉の担当になり、人の病やはかなさを知ったとき、これまでの高慢な自分に気付かされました。
 イエス・キリストが、十字架で死んでくださったのは、高慢な私の罪を贖うためだったのだと思い知らされたのです。今、キリストにあって救いの恵みに入れられていることを感謝しています。

 会社員 52歳

 働き始めて3年、人に裏切られた怒りと憎しみが心を交錯する中、教会の礼拝に出席して、聖書を読むようになりました。ある日、イエス・キリストが十字架の上で祈られたことばに捕らえられました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」

 それは、実は私のためであったと知りました。よく頑張っていると思っていた自分が、神の目には何と高ぶった者であったことか。その日、罪を赦されたことを感謝しました。あれから24年になります。

 医師  54歳

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